過去帳(電子版)

ここは私の仏壇

地獄にはたまーにお地蔵さんが来てくれて衆生をお救いくださるよ(多分)

p-shirokuma.hatenadiary.com

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一連のエントリを読んでちょっと思うところがあったので書いておこうと思う。

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シロクマ先生の不登校エピソードで思い出したことがある。

多分シロクマ先生が不登校になった原因として挙げている「中学校の荒れた世界に適応できず」というのは授業妨害や校内暴力を起こす生徒が中学校に少なからず存在したということだと推察する。

私もいわゆるヤンキー*1と呼ばれる若者の多い地域で中学時代を過ごしたが、通っていた中学は教員による服装検査や頭髪検査の締め付けが異常なほど厳しく、髪を染めて改造学生服を着た生徒はごく少数で、荒れた状態の学校や教室というものは体験していない。*2

また、幼稚園から仲良くしていた友人にはかなり年の離れた兄が二人おり、どちらももれなくヤンキーであった。他の場所ではどうだったか知りえないが彼らは少なくとも私にとっては身近にいる気のいいあんちゃんでしかなかった。その土地の祭礼で同じ年頃の仲間たちと声も枯れよと大声で歌い、踊り、山車を曳き回す彼らの姿をいまでも思い出せる。ヤンキーは皆祭りが好きだった。

友人の家はその土地で昔から自営業を営んでおり、このような友人を持ったことは父親の転勤に伴ってやや閉鎖的な田舎町に越してきた私にとっては非常に運がよかったといえるだろう。

かねてからはてな、というかインターネット全体の傾向としてヤンキーは粗暴かつ知的に劣るというような決めつけをする人が異様に多いのはなぜなのか不思議でもあり不快でもあったのだが、もしかしたら私はそういう感じ方をする程度には幼少から少なからず周囲の人間に恵まれていたのかもしれないな、とシロクマ先生の不登校エピソード読んで初めて思った。

 まあヤンキーは粗暴で知的に劣る底辺と感じる人と、シロクマ先生のブログを読んで時折社会的地位も年収もある医者がブログで説教かますってまじ鼻持ちならねえ、と感じる私みたいな人間も根っこの部分では同じなんだろう。

20代前半まで仕事できない空気読めないで怒られまくりだったけど、30近くになって徐々に仕事覚えが早い、教えがいがあるって評価されることが多くなった。職も収入も安定しない人生だがこの点だけは自負してる。

これは先のシロクマ先生の発達障害エントリに私がつけたブコメである。多分発達障害が原因で働けなくて自己否定感に苛まれている人を傷つけるであろうことは予想できた。だから書かないでおこうと思ったけれど我慢できなくて書いてしまった。多分これを目にして嫌な気持ちになった人はたくさんいるんじゃないかなと思う。

私は普段シロクマ先生のブログ読んでもピンと来ないことの方が多いし、正直上から目線うぜえ、と感じることの方が多いので、まあ今回はたまたま私がエントリ内容が自分の置かれている立場に合致していたのでムカつかなかったというだけだろう。

人間は立場如何でどうとでも変わる。そうして違う立場の人間を慮れず自己顕示欲に負ける。ネットでもリアルでも特に珍しくもない光景だけれど先生のおっしゃる通り世間は誠に苦界だなあと思う。

私の執着はシンプルで、金が欲しいということに尽きる。それ以外の執着はないに等しい。そして仕事に付随する人間関係やストレスは死ぬほど嫌だが、働くということ自体は嫌いではなかったため、金を得る手段としてとにかくしょっちゅう仕事を変えて今まで働いてきた。なんとなく自分が変なのは分かっていたので適性のある職場を探すべく色んな仕事をやってみた。試行錯誤の中、自分に合った仕事というものの当りをつけながらその間に少しずつソーシャルスキルを少しずつ身につけていくことができた。金は相変わらず手に入りずらいけれど。

 

人を、世間を愛せるかって言われたらまあ地獄だし無理だと思う。でも時々面白いとは思う。

 

あとはまあ適当に思ったことを。

私の「生きている人は、みんなたいしたものだ」という言葉の一端には、こうした認識も含まれています。それぞれの人が、それぞれのやり方で、自分の命を守り、オリジナルな社会適応をかたちづくりながら生きています。なかには悪いことをする人もいるでしょうし、たくさんの人を困らせながら生きている人もいるでしょう。ですが、いずれにせよ、すべての人は自分の持っている力を精一杯使って今を生きていて、ひょっとしたら明日には死んでいるかもしれないけれども、今日の時点では命を繋いでいるのは確かなのです。それは、儚いかもしれないけれども尊く、人それぞれに固有のものではないでしょうか。

たとえ世間が地獄でも、人を、世間を、愛せますか。 - シロクマの屑籠

私はおせじにもモラルのある立派な人間とは言い難い。ワーキングプアとして働くうちにずいぶんとこすっからくなった。ブラックの匂いがしたらすぐさまバックレを決める。以前ネチネチいびって来る女性のいる職場で本人に辞意を伝えたら「次の人が決まるまでいてもらわないと困る」と言われたので「能無しが困ってたとこでこっちに助ける義理なんかねえよ、勝手に困ってろ」と言い捨てて辞めたりしている。といわゆる人間性の回復とは程遠いところにいる。今までそれがなんとなく後ろめたかったが、少し気が楽になった。

娑婆世界は、世知辛くて恐ろしいところで、これからも人間同士は生きるために戦うでしょう。けれども、そういう真っ暗な世界のなかで、個々人が生き延びようとし、それぞれに社会適応を形づくっていくさまは、闇の中に灯る生命の光だとは思うのです。その生命の光は、美しいけれども、苦しみの源でもあり、諍いの源でもあり、単に苦しさや争いをなくしたいなら、生命を受け継ぐのをやめて滅んでしまうのがベストでしょう。しかし、苦しさや争いがあっても、執着の導くままに人間が生きているということ自体を、私は嫌いになれそうにありません。

たとえ世間が地獄でも、人を、世間を、愛せますか。 - シロクマの屑籠

はてな気持ちわりーな、と思いつつついつい覗いてしまうのはこの辺に理由があるんだろうか。自分とは異なる執着を見せている人間というのは滑稽に見えるのだけれども、それは一種の合わせ鏡みたいなものなのかもしれない。

まあ特に結論も出ないのではてなNGで気に入らないIDを非表示ににする作業に戻ります。

 

 

 

 

 

 

*1:このカテゴリ自体ひどく乱暴なものだが便宜上使用する

*2:故に私の出身中学でヤンキーになる人間は大半が高校デビューであった